妄想の王さま

ジジ可愛い

ケツ×バツ

ケツバットをご存知だろうか。おしりをバットで叩くのだ。悪さをした子供は罰として親におしりを叩かれる。昭和に生まれたほとんどの子供はおしりを叩かれて育った。もしかすると、お父さんがお母さんのお尻を叩くのを目撃したむきもあるやもしれぬがそれは罰ではない。

 


さておき、親から子への罰は日本のメジャースポーツのひとつ、野球に取り込まれてケツバットへと進化し、様々な部活動に取り入れられた。サッカー部ならケツキック、卓球部ならケツラケット、馬術部なら馬ケツ、華道部ならケツ剣山、漫画同好会ならケツ間ジャンプとなった。たぶん。

 


小学校のころに通っていた塾では、遅刻するとケツバットだった。塾長のはバットではなく園芸用の緑色の棒で、低学年のときに育てたであろうアサガオの支柱に使われていたものだ。あの棒は硬さとしなやかさがあり、ドSをうっとりさせる。その効果もすばらしく、まず叩かれると痛い、そしてミミズ腫れになり、ヒリヒリと痛む、だからミミズ腫れをつぶさないよう、そっと尻を浮かしてみたり、どれくらい腫れたか触ってみたくなり、いい腫れ具合なら、となりの子に教えてあげたり、授業どころではなくなり、帰って風呂に入れば、またヒリヒリとしみて、親に見つかろうものなら、遅刻がばれて怒られる。と一文でかけるくらい効果が続く。

 


塾の入り口にはセンサーが付いていて、ドアを開くとメロディが鳴る。入り口のドアをそっと押す。どう押しても鳴るのはわかっている。それでも遅刻の後ろめたさがそっと押させる。メロディが鳴り、響きが階段を登っていく。靴を履き替え、そっと階段を上がっていくと、教室の前でドS棒をスナップを効かせた素振りをしながらニヤニヤしている塾長にぞっとする。たび重なる痛みと笑みは、メロディと共に体へと刻まれた。

 


高校生になった頃、あるコンビニに入った時、あのメロディが聞こえた。その響きに身体が震え、そっとレジをみれば店員の笑顔が塾長のそれに見え、おしりには聖痕のようにミミズ腫れも浮かび上がっていた、かもしれない。

 


それからしばらくはファミリーマートには近づけなかった。

我輩はバカである

なまえはおぼえてない。まあ、そこまでひどくはない。たぶん。それでも記憶力の良い人と比べてしまって、残念におもうこともあった。

学生の頃は九九に始まり、漢字と書き順、数学の式、化学の式、年号、人物の名前。なにひとつ興味がわいてこないし、繰り返しはたいくつで、教科書に落書きをし、授業は子守唄となって、成績は下る一方。社会に出れば、お決まりの受け答えができない、人の顔と名前が一致しない、ホウレンソウが出来ない、などコミュニケーション的なエラーを重ねては発生する様々なお叱りに辛い思い(うんざり)したものだ。

ところが、見方をかえてみると、記憶力のなさ、言い換えれば覚えにくく忘れやすい、というのは案外良いものだったりする。

世の中を見ていると頭が良いのにおかしな行動で自分を苦しめている人を見かける。その原因は、おかしな価値観であり、それは誤った認識や判断から生まれる。

人と人の間に起きる問題には正しい答えがないことが多い。

例を上げると、失恋の理由付け。どちらかが別れを切り出すとき、理由をどう伝えるか。他の人が好きになった、いい相手が現れた、相手に飽きた、真剣に取り組みたいことが出来た、などを、相手を傷つけたくない気持ちや後ろめたさから、正直に言い出せず、別の言葉として伝えることもある。

こうして相手の本音が隠された場合、受け止める側には本当の理由はわからなくなる。相手の本音がわからないまま原因を考えても上手くはいかない。本音がわかっても理解できないこともある。さらに感情が高ぶっているときにはまともな思考が働かない。それでも人が答えを求めるのは、次に備えるためだろう。次はつらい思いをしないようにするために。

何度も何度もつらい気持ちとセットであれこれと取り出しては、悩んでこね回して、出てくるのは形がはっきりしないもので、いくら考えてもわからないから、自分に原因があったとするしかなくなる。あれが悪かった、これが悪かった、次はああしよう、こうしよう。おかしな価値観いっちょ上がり。

ところが、おバカにはこれが起こらない。一度の出来事で判断も出来なければ、判断しても忘れる。流石に失恋ともなれば、凹んだり落ち込んだりもするが、終わったことへの関心は薄くて、忘れるのも早いので、大した答えなど出さずに立ち上がる。

つまりおバカには知識としての良いものもたまらないが、価値観としての悪いものもたまらない。昼間あった嫌なことなんて夜になれば忘れている。もし覚えていて反省しても、その内容を忘れる。

こんな感じなのでストレスの多い環境でも楽に生きられるというのはメリットの一つとしてあると思う。おバカはおバカなりに楽に生きていけるように作られているのかもしれない。もちろん周りにストレスをかけていることも忘れる。

ここで終わってしまうと、せっかく読んでくれた数少ないおバカのお友達に持って帰らせるお土産がない。我輩のように能力の低い人間がおっさんと呼ばれる年まで生きてこれたことを考えてみると、学習能力の低い人間は「たった一つのことをやろう」だと思う。

なんだか自己啓発本っぽい話だが、自己啓発で語られることは、元をたどれば偉人の言葉に行き着く。ちなみにこれも散々、自己啓発本を読んで、何となく思うのだけど忘れてまた買ってを繰り返してから気づいたことだ、多分、学習能力の高い人は2〜3冊で気づく。

でも「たった一つのことをやる」なんて、みんな気づいていて、それでもそれが出来ずにいるのは、他のことに気を取られるからだろう。忘れっぽい人間は次の興味へ飛び込むのが早い。あっちへ行って、また戻ってきてと、どうにも学習効率が悪い。それでひとつに絞ろうと思うのだが忘れてしまう。

なので、もう一つ格言っぽくいうと「世の中のあらゆることは人の興味を引くように作られている」調子に乗ってもう一ついえば「注意を固定するのが苦手なひとに今の世界は毒である」

バカにつける薬はないというけれど、バカを漬ける薬はある。それはなにかにどっぷりハマることなのだ。

仕事しながら覚えていくこと

エンジニアさん界隈で、エラーメッセージを前に画面とにらめっこする人がどうの、という話がありまして。

お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ|古都こと|note

言及する形でうちではこんな感じだぞというエントリを読みました。

底辺IT企業は『書けない』プログラマとどう向き合ってきたか - megamouthの葬列

どちらの文章も楽しく読ませて頂きました。プログラマさんたちには色々と刺さる部分があったようで、様々なブコメの反応も面白かった中で思ったのはプログラマに限らず、資格がいらない、飛び込みやすい、人が流れ込みやすい業種はだいたいどこへ行ってもそんな感じじゃないかなぁと。

自分は運送業で働いていて、会社は常に募集をかけており、免許を持っていて、日本語の仮免(意思の疎通)があればOKという基準の緩さもあってか、人不足と言われる業界ながらも一定の頻度で新しい人が入ってきては辞めていきます。業界全体に漂う黒い空気というのもあるのですが、続かない理由の一つとして、体から出るエラーメッセージを理解しようとしないということがあります。

運送業に慣れてしまった自分らからすると楽だな、と感じる仕事であっても、これまでの仕事で筋肉をあまり使わない仕事をしてきた人は、肉体からエラーメッセージがでます。その日は良くても次の日、1週間してからとか、ひどい筋肉痛が出てくる。それをかばいながら動くうちに、今度はどこかを捻挫したり、腰がつらいと言う具合です。とはいえ年月をかけて蓄積されたダメージではないので、休むことですぐに回復するのですが、この先もこれが続くのかと想像して辛くなってしまい辞めてしまうようです。

続く人はうまく休ませて体を守りながら、もしくは気合で続けていくうちに筋肉がついて、体が最適化されていくなかで、以前はきつかった仕事がいつの間にか楽になってくる。そこまでいければ、後は省エネモードで仕事をできるようになるんですけども。

こうして楽になった人からは、「まあ、慣れるよ」という言葉が新人に贈られるのですけれども、今現在つらいと感じている新人からすると「それはいつ?」という話です。これは答えるのが難しい部分で、運送業なら荷物を持ち上げて降ろした回数ですし、プログラマだと元記事にあった話で言えばエラーメッセージが出て、それが何なのか調べて修正するという行動の繰り返しなわけです。

調べるのもググるから始めて、ネットをうろつくうちにスタックオーバーフローやら、公式のドキュメントを読むようになり、繰り返すうちにパターンが出来てきて、更に良いやり方を取り入れて、パターンが洗練されてくる。

「まぁ、慣れるよ」と言えるようになるまでに必要な回数が、人によっては100回だったり1000回だったりしますけど、1000回必要な人には専用のドリルのようなもので、パターン化を促進してあげるといいのではないかと思います。

筋肉を使い続けると、いつのまにか力がつくように、プログラムにもそういったひたすら解くだけの計算ドリルのようなものがあると良いのではないでしょうか。例えば、確実にエラーメッセージが出るコードを実行させて、エラーメッセージを調べて、コードを直して動くようにするとか。

先輩プログラマ達が遭遇する間違いから解決までを集めて分類しておけば良い問題集が作れるのではないでしょうか(編集が大変そうだけど)。たくさんの間違いのパターンを知り、修正することから正しい使い方を学ぶというのは学習のひとつのあり方のような気もします。

人の流れ込みやすい業界はともすれば「折れたら交換すればいい」という状況になりやすく、若い人が減っていく世の中で気付けば替えがなくなってたという日もそれほど遠くない未来です。若者が「えっ、プログラマwないない」とか言い出さぬうちに、まだ若者がプログラマに夢を見てくれるうちに、良い育て方と支え方をトライ&エラー(実験台)しながら上の世代が頑張ってみたほうがいいのかもしれません。

忙しい中で逐一面倒を見る、というのは大変ですが、レベルに合わせた問題を選び、超えられるかに気を配り、そっとケツを支えてやる、くらいはできるのではないでしょうか。ただし、せっかく手間をかけて、時間をかけて、気持ちまで見てやったのに、あっさり転職されては元も子もない。そのためには実行環境に埋め込む形で、実行するごとに「金じゃない、時間じゃない、仕事が好き」みたいなメッセージを一瞬だけ表示して、洗脳するなどの対策は必要ですね。

まぁ、人が入ってこないと業界として困るのかどうか、というのは自分にはわからないのですが、おっさんになると、どんどん出てくる新しい技術についていくのが大変だ、みたいな話も聞きますし、いつまで現場でコードを書いていられるだろうか、は、いつまでこの重さを持ち上げられるだろうか、という肉体労働者の不安に似ています。すでに若者からは見捨てられていて、40代で若手とか言われる運送業と同じ場所にIT業界がたどり着かないよう、お祈りしております。

じいちゃんの話

なんか、突然思い出したので湧き上がったことをかく。

父親方のじいちゃんの話だ。うちのじいちゃんはもし生きてれば百三歳になっている。いきてればなんだけどもね。

うちのじいちゃんはとても変わった人だった。実家の近所だったのでよく遊びに行ってたのだけど、ばあちゃんはよく遊んでくれたし、面倒をみて可愛がってくれたが、じいちゃんには構ってもらった記憶がない。

じいちゃんが死んでから聞いた話だけど、子供が苦手だったみたい。

遊びに行っても部屋にこもって、なんかしてるのは知ってた、でも部屋に入ると怒るからって、ばあちゃんが入らせてくれなかったんだよね。

ドアの隙間から見える部屋の中には、色んなものがぎっしりと並んでて、子供心にものすごい興味があったのを覚えてる。

その頃、親父から聞いた話ではじいちゃんは機械いじりが大好きで、その辺に捨ててあるテレビだのカメラだの、大きくない家電や機械が捨ててあると拾ってきては治していたらしい。治すまでが楽しいので治ったものを使うことには興味がない。

ばあちゃんが親父に、「また拾ってきたのよ」なんて言うのを、よく聞いた。

だから、小さい頃はじいちゃんという存在はほとんど意識してなかった。

それが変わったのは高校生になってからだ。バイクでばあちゃんに荷物を渡しに行った時だったと思う。ちょうど、じいちゃんが外で作業中だった。

バイクを止めて、軽く挨拶して、中に入ろうとしたら名前を呼ばれてさ、ちょっとびっくりしたわけ。驚いてる俺に構いもせずに、何か言われたんだけど聴き取れなくって、というか聞こえたんだけど、まさか、じいちゃんからバイクの名前を言われるなんて思わなかった。だから脳がついていけなかったんだと思う。

乗ってたバイクはホンダのスーパーフォアって400ccだったんだけど、当時はまだ新しい機種で、うちの親父とかもよく分かってないのに70過ぎのじいちゃんが「それはスーパーフォアか?」って聞いてきたんだよ。

それから、バイクのことをいろいろ聞かれて、すこし話した。ひとつ前の世代のバイクの話とか聞かせてもらってさ。すげー楽しかったのを覚えてる。

それで、うちのじーちゃんすげーってことに気づいて、それからはちょくちょく遊びに行って、話聞かせてもらって、そのうちじいちゃんの部屋にも入れてくれるようになってさ。

あの興味津々の部屋に潜入することができたんだけど、カメラが多分50台くらいあるって言ってて、カメラのこともいろいろ教えてもらったなぁ。

ところがな、この時期に、うちの親父絡めた親戚同士の揉め事がが勃発。詳しいことは書かないけど、ばあちゃんの家はかなりの広さで、じいちゃんもばあちゃんももう良い歳だしって、そこに目をつけた親戚が・・・

んで、じいちゃんのところに良く来てる俺をあまりよく思ってなかったらしく、揉め事のネタにされてしまったわけ。

それと前後するようにじいちゃんが入院しちまって、遊びに行っても親戚の監視付き。

そうこうするうちにどんどん弱ってじいちゃんは死んじまった。

というせっかくじいちゃんと仲良くなれたのに、親戚に邪魔された思い出でした。

これはじいちゃんが死んで5年くらいしてから分かったんだけど、じいちゃんは俺にガラクタのコレクションを渡したがってたらしい。まあ、それも親戚に邪魔されちゃったんだけど。

実はあの中にライカが何台もあったんだよね。つかってみたかったなぁ。

GとチューとアルビノG

ちっと前まで居酒屋で働いてた時の話。

ちょっと小汚いくらいの居酒屋さん。のんべえ横丁的なところにあるようなお店、はやってますよね。まあそういうお店に行ける人はわかってるのかもしれませんが厨房はガチでやばいですよ。なんて一般化しましたけどそうじゃないお店もいっぱいあると思うのであまりお気になさらずに。

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