妄想の王さま

ジジ可愛い

我輩はバカである

なまえはおぼえてない。まあ、そこまでひどくはない。たぶん。それでも記憶力の良い人と比べてしまって、残念におもうこともあった。

学生の頃は九九に始まり、漢字と書き順、数学の式、化学の式、年号、人物の名前。なにひとつ興味がわいてこないし、繰り返しはたいくつで、教科書に落書きをし、授業は子守唄となって、成績は下る一方。社会に出れば、お決まりの受け答えができない、人の顔と名前が一致しない、ホウレンソウが出来ない、などコミュニケーション的なエラーを重ねては発生する様々なお叱りに辛い思い(うんざり)したものだ。

ところが、見方をかえてみると、記憶力のなさ、言い換えれば覚えにくく忘れやすい、というのは案外良いものだったりする。

世の中を見ていると頭が良いのにおかしな行動で自分を苦しめている人を見かける。その原因は、おかしな価値観であり、それは誤った認識や判断から生まれる。

人と人の間に起きる問題には正しい答えがないことが多い。

例を上げると、失恋の理由付け。どちらかが別れを切り出すとき、理由をどう伝えるか。他の人が好きになった、いい相手が現れた、相手に飽きた、真剣に取り組みたいことが出来た、などを、相手を傷つけたくない気持ちや後ろめたさから、正直に言い出せず、別の言葉として伝えることもある。

こうして相手の本音が隠された場合、受け止める側には本当の理由はわからなくなる。相手の本音がわからないまま原因を考えても上手くはいかない。本音がわかっても理解できないこともある。さらに感情が高ぶっているときにはまともな思考が働かない。それでも人が答えを求めるのは、次に備えるためだろう。次はつらい思いをしないようにするために。

何度も何度もつらい気持ちとセットであれこれと取り出しては、悩んでこね回して、出てくるのは形がはっきりしないもので、いくら考えてもわからないから、自分に原因があったとするしかなくなる。あれが悪かった、これが悪かった、次はああしよう、こうしよう。おかしな価値観いっちょ上がり。

ところが、おバカにはこれが起こらない。一度の出来事で判断も出来なければ、判断しても忘れる。流石に失恋ともなれば、凹んだり落ち込んだりもするが、終わったことへの関心は薄くて、忘れるのも早いので、大した答えなど出さずに立ち上がる。

つまりおバカには知識としての良いものもたまらないが、価値観としての悪いものもたまらない。昼間あった嫌なことなんて夜になれば忘れている。もし覚えていて反省しても、その内容を忘れる。

こんな感じなのでストレスの多い環境でも楽に生きられるというのはメリットの一つとしてあると思う。おバカはおバカなりに楽に生きていけるように作られているのかもしれない。もちろん周りにストレスをかけていることも忘れる。

ここで終わってしまうと、せっかく読んでくれた数少ないおバカのお友達に持って帰らせるお土産がない。我輩のように能力の低い人間がおっさんと呼ばれる年まで生きてこれたことを考えてみると、学習能力の低い人間は「たった一つのことをやろう」だと思う。

なんだか自己啓発本っぽい話だが、自己啓発で語られることは、元をたどれば偉人の言葉に行き着く。ちなみにこれも散々、自己啓発本を読んで、何となく思うのだけど忘れてまた買ってを繰り返してから気づいたことだ、多分、学習能力の高い人は2〜3冊で気づく。

でも「たった一つのことをやる」なんて、みんな気づいていて、それでもそれが出来ずにいるのは、他のことに気を取られるからだろう。忘れっぽい人間は次の興味へ飛び込むのが早い。あっちへ行って、また戻ってきてと、どうにも学習効率が悪い。それでひとつに絞ろうと思うのだが忘れてしまう。

なので、もう一つ格言っぽくいうと「世の中のあらゆることは人の興味を引くように作られている」調子に乗ってもう一ついえば「注意を固定するのが苦手なひとに今の世界は毒である」

バカにつける薬はないというけれど、バカを漬ける薬はある。それはなにかにどっぷりハマることなのだ。