妄想の王さま

ジジ可愛い

仕事しながら覚えていくこと

エンジニアさん界隈で、エラーメッセージを前に画面とにらめっこする人がどうの、という話がありまして。

お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ|古都こと|note

言及する形でうちではこんな感じだぞというエントリを読みました。

底辺IT企業は『書けない』プログラマとどう向き合ってきたか - megamouthの葬列

どちらの文章も楽しく読ませて頂きました。プログラマさんたちには色々と刺さる部分があったようで、様々なブコメの反応も面白かった中で思ったのはプログラマに限らず、資格がいらない、飛び込みやすい、人が流れ込みやすい業種はだいたいどこへ行ってもそんな感じじゃないかなぁと。

自分は運送業で働いていて、会社は常に募集をかけており、免許を持っていて、日本語の仮免(意思の疎通)があればOKという基準の緩さもあってか、人不足と言われる業界ながらも一定の頻度で新しい人が入ってきては辞めていきます。業界全体に漂う黒い空気というのもあるのですが、続かない理由の一つとして、体から出るエラーメッセージを理解しようとしないということがあります。

運送業に慣れてしまった自分らからすると楽だな、と感じる仕事であっても、これまでの仕事で筋肉をあまり使わない仕事をしてきた人は、肉体からエラーメッセージがでます。その日は良くても次の日、1週間してからとか、ひどい筋肉痛が出てくる。それをかばいながら動くうちに、今度はどこかを捻挫したり、腰がつらいと言う具合です。とはいえ年月をかけて蓄積されたダメージではないので、休むことですぐに回復するのですが、この先もこれが続くのかと想像して辛くなってしまい辞めてしまうようです。

続く人はうまく休ませて体を守りながら、もしくは気合で続けていくうちに筋肉がついて、体が最適化されていくなかで、以前はきつかった仕事がいつの間にか楽になってくる。そこまでいければ、後は省エネモードで仕事をできるようになるんですけども。

こうして楽になった人からは、「まあ、慣れるよ」という言葉が新人に贈られるのですけれども、今現在つらいと感じている新人からすると「それはいつ?」という話です。これは答えるのが難しい部分で、運送業なら荷物を持ち上げて降ろした回数ですし、プログラマだと元記事にあった話で言えばエラーメッセージが出て、それが何なのか調べて修正するという行動の繰り返しなわけです。

調べるのもググるから始めて、ネットをうろつくうちにスタックオーバーフローやら、公式のドキュメントを読むようになり、繰り返すうちにパターンが出来てきて、更に良いやり方を取り入れて、パターンが洗練されてくる。

「まぁ、慣れるよ」と言えるようになるまでに必要な回数が、人によっては100回だったり1000回だったりしますけど、1000回必要な人には専用のドリルのようなもので、パターン化を促進してあげるといいのではないかと思います。

筋肉を使い続けると、いつのまにか力がつくように、プログラムにもそういったひたすら解くだけの計算ドリルのようなものがあると良いのではないでしょうか。例えば、確実にエラーメッセージが出るコードを実行させて、エラーメッセージを調べて、コードを直して動くようにするとか。

先輩プログラマ達が遭遇する間違いから解決までを集めて分類しておけば良い問題集が作れるのではないでしょうか(編集が大変そうだけど)。たくさんの間違いのパターンを知り、修正することから正しい使い方を学ぶというのは学習のひとつのあり方のような気もします。

人の流れ込みやすい業界はともすれば「折れたら交換すればいい」という状況になりやすく、若い人が減っていく世の中で気付けば替えがなくなってたという日もそれほど遠くない未来です。若者が「えっ、プログラマwないない」とか言い出さぬうちに、まだ若者がプログラマに夢を見てくれるうちに、良い育て方と支え方をトライ&エラー(実験台)しながら上の世代が頑張ってみたほうがいいのかもしれません。

忙しい中で逐一面倒を見る、というのは大変ですが、レベルに合わせた問題を選び、超えられるかに気を配り、そっとケツを支えてやる、くらいはできるのではないでしょうか。ただし、せっかく手間をかけて、時間をかけて、気持ちまで見てやったのに、あっさり転職されては元も子もない。そのためには実行環境に埋め込む形で、実行するごとに「金じゃない、時間じゃない、仕事が好き」みたいなメッセージを一瞬だけ表示して、洗脳するなどの対策は必要ですね。

まぁ、人が入ってこないと業界として困るのかどうか、というのは自分にはわからないのですが、おっさんになると、どんどん出てくる新しい技術についていくのが大変だ、みたいな話も聞きますし、いつまで現場でコードを書いていられるだろうか、は、いつまでこの重さを持ち上げられるだろうか、という肉体労働者の不安に似ています。すでに若者からは見捨てられていて、40代で若手とか言われる運送業と同じ場所にIT業界がたどり着かないよう、お祈りしております。