妄想の王さま

ジジ可愛い

クソ本とは子供の頃に嫌いだった食べ物に似ている

クソ本っていうひとがいるじゃないですか?僕もクソ本があるというのは理解してる。ただその使われ方にちょっと違和感があったので書いてみる。

クソ本ってなに

僕の中でのクソ本っていうのは著者の主張を補足するものが著者の実例ばっかりで根拠に乏しく、しかも実例が自慢にしか聞こえないようなものばっかりの本に当たるとやってしまったと思うorz でもこういう本にはたまーにしか出会わない。こういう本は中古市場に出回ってほしくないのでもったいないけど捨てることにしてる。

でも世の中には読んだ人がためにならなかった。知識を得られなかった場合にクソ本みたいな扱いをする人がいる。これが違うと思ってて、何故かと言うと読み手の知識や読書力が様々だということ。

読書力

最近読書を始めたばかりの人と幼いころから本が大好きだった人では読書レベルも知識の蓄積量も全く違う。その二人が同じ本を読んだ時に結びつく知識の量や感じ方は全く違ったものになると思う。

本に慣れていない人は表面を読んで書かれていることを理解しようとする。本になれた人は表面的な意味と背景を理解し著者の主張や感情までも読み取ろうとするだろう。

慣れた人はその読書レベルの高さで難解な本でも読み解くことができるが慣れていない人は字面を追うことしかできずに終わるかもしれない。

出会うタイミングによる

僕は子供の頃ピーマンを筆頭に野菜が大嫌いだった。父親におこられながら泣きながら食べてた記憶も残っている。そんな僕が高校生の時に中華料理で出てきたチンジャオロースで開眼する。

「ピーマンうまい!」「えっこんなうまい食い物だったの!」「マジ損した。誰か言ってよ~」

中華料理の技によってピーマンは美味しい食べ物に変わった。あれほど嫌いだったピーマンが。それ以降は様々な野菜を味わえるようになった。もしあの時チンジャオロースに出会っていなかったら僕はいまも野菜嫌いだったかもしれない。まじで中華料理すごい。

そのときは二人の友達といたんだけど一人は元々野菜大好き。だからそいつは俺がピーマンの旨さに目覚めた感動に震えているとこういった「やっと気づいたか」もう一人の友達は自分と同じで野菜大嫌い。そんなに上手いの?とひとくち食べたが「もういらない」といった。

僕からすればピーマンうまい、野菜好きからすれば普通のこと、嫌いなやつからすればクソピーマン。

出会う時期によってピーマンの評価は変る。本も同じだと思う。

まとめ

本は出会うタイミングによって価値が変わる。 ピーマンをおいしくした中華料理すごい。